ミツマタは開花までもう少し…

樹皮には強い繊維があり、コウゾ(楮)、ガンピ(雁皮)と共に和紙の原料として有名な植物の一つ。
三椏 ミツマタ
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まだやっと…花が一つ開いたばかり、でした。後はみんな蕾の状態です。
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花が葉に先立って咲きます。
花には芳香があります。葉は互生で,両面に絹毛があって、とくにうら面に多い。
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名の由来は枝がこのように必ず3本ずつ分岐することから。三つ叉とも書きます。
赤花もありますね。以前別ブログアップした画像から…。
https://other-blogs.c.yimg.jp/res/blog-9b-4b/chameleon_arms/folder/1281489/96/50217896/img_0?1331726445.jpg
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英名は『Oriental paperbush』
◇科名:沈丁花科 ◇属名:ミツマタ属(Edgeworthia=エッジワーシア:イギリスの植物学者「M.P.Edgeworth夫妻」の名前 ◇学名:Edgeworthia chrysantha ◇学名:Edgeworthia chrysantha(chrysantha=黄色の花)/ (※赤花)Edgeworthia chrysantha Lindl(Lindl=ロンドン大学植物学教授「ジョン・リンドレイ John Lindley(1799~1865)」の名前に因んだもの)
※ジョン・リンドレイ>RHS要職を歴任した英国を代表する植物分類学者。優れた編集者としても知られ、RHSリンドレイ図書館にその名を残しています。RHSと言うのは「英国)王立園芸協会。The Royal Horticultural Society」の略。
漢名:黄瑞香(瑞香とは、沈丁花の意)
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黄色の部分は筒状に発達した萼(がく)で、花弁はありません。
三椏は紙の原料として知られていますが、この「みつまた」が紙の原料として表れる最初の文献は、家康が1598年(慶長3年)に、修善寺の製紙工「文左右衛門」にミツマタの使用を許可した黒印状と呼ばれる、諸大名の発行する公文書です。
当時は公用の紙を漉くための原料植物の伐採は、特定の許可を得たもの以外は禁じられていたそうです。 それによると「豆州にては 鳥子草、かんひ みつまたは 何方に候とも 修善寺文左右衛門 より外には切るべからず」とあります。
※昔から貴族たちに詠草料紙として愛用された斐紙(美紙ともいう)の原料であるガンピも、ミツマタと同じジンチョウゲ科です。
我が国へは上記にあるように江戸時代初期に三椏が渡来したと言われています。但し渡来時期については他に、万葉集に三枝(さきくさ)とあり、これがミツマタであれば万葉時代には既に渡来していた事になります。
万葉集に登場するのは次の和歌です。
「春されば まづ三枝の 幸くあれば 後にも逢はなむ な恋そ吾妹(わぎも)/柿元人麻呂」
もうまもなく、たくさんの花を咲かせて、黄色いボールのようになるでしょうね(笑)
2月15日と3月5日 の誕生花です。
花言葉は沢山あって
「強靱」「意外な想い」「壮健」「永遠の愛」「肉親の絆」 花言葉
さて…日本の製紙技術は600年代の始め、高麗僧によってもたらされたとされています。当初は麻の繊維でしたがその後、コウゾによる紙すきが行われ、次いで700年代後半にガンピに変わり、一般にミツマタで紙をすくようになったのは意外に遅くて、1780年代の天明の頃とされています。
日本の紙幣は明治時代になって、政府がガンピの栽培が困難であるため、栽培が容易なミツマタを原料として研究し、明治12年に当時の大蔵省印刷局抄紙部で苛性ソーダ煮熟法を活用することで、日本の紙幣に使用されるようになっています。
ミツマタは、しわになりにくく高級で、また虫害にもなりにくいので、1万円札などの紙幣や証紙・株券・地図用紙など重要な書類に使われます。強くて艶が有り、栽培が容易な事から、上記にあるように明治12年大蔵省造幣局が紙幣に応用し三叉を原料として紙幣を作ってから、三叉の利用度は非常に高くなりました。
手漉き和紙業界でも、野生だけで供給量の限定されたガンピの代用原料として栽培し、現代の手漉き和紙では、コウゾに次ぐ主要な原料となっていて、現代の手漉き鳥の子和紙ふすま紙の主原料は、ミツマタです。