ミツマタで春の陽気

お馴染みの春を代表する花ですよね。
三椏 ミツマタ
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三つ叉とも書きます
◇科名:沈丁花科 ◇属名:ミツマタ属(Edgeworthia=エッジワーシア。イギリスの植物学者「M.P.Edgeworth夫妻」の名前 ◇学名:Edgeworthia papyrifera(papyrifer,-fera,-ferum=紙を持った)chrysantha(chrysantha=黄色の花)
ジンチョウゲ科の落葉低木で、中国中南部、ヒマラヤ地方が原産です。
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名の由来は枝が必ず3本ずつ分岐することから。
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黄色の部分は筒状に発達した萼(がく)で、花弁はありません。沈丁花の仲間ですから、花には芳香があります。葉は互生で両面に絹毛があって、とくにうら面にに多い。
英名は『Oriental paperbush』。
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沈丁花科だけあり、香りもあります。三椏の樹皮には強い繊維があり、コウゾ(楮)、ガンピ(雁皮)と共に和紙の原料として有名な植物の一つ。紙の原料として知られていますが、「みつまた」が紙の原料として表れる最初の文献は、家康が1598年(慶長3年)に、修善寺の製紙工「文左右衛門」にミツマタの使用を許可した黒印状と呼ばれる、諸大名の発行する公文書です。当時は公用の紙を漉くための原料植物の伐採は、特定の許可を得たもの以外は禁じられていたそうです。 それによると「豆州にては 鳥子草、かんひ みつまたは 何方に候とも 修善寺文左右衛門 より外には切るべからず」とあります。昔から貴族たちに詠草料紙として愛用された斐紙(美紙ともいう)の原料であるガンピも、ミツマタと同じジンチョウゲ科です。
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我が国へは上記にあるように江戸時代初期に三椏が渡来したと言われています。但し渡来時期については他に、万葉集に三枝(さきくさ)とあり、これがミツマタであれば万葉時代には既に渡来していた事になります。
万葉集に登場するのは次の和歌です。
「春されば まづ三枝の 幸くあれば 後にも逢はなむ な恋そ吾妹(わぎも)/柿元人麻呂」
赤花は突然変異種で主に園芸品種。
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日本の製紙技術は600年代の始め、高麗僧によってもたらされたとされています。当初は麻の繊維でしたがその後、コウゾによる紙すきが行われ、次いで700年代後半にガンピに変わり、一般にミツマタで紙をすくようになったのは意外に遅くて、1780年代の天明の頃とされています。
日本の紙幣は明治時代になって、政府がガンピの栽培が困難であるため、栽培が容易なミツマタを原料として研究し、明治12年に当時の大蔵省印刷局抄紙部で苛性ソーダ煮熟法を活用することで、日本の紙幣に使用されるようになっています。
ミツマタは、しわになりにくく高級で、また虫害にもなりにくいので、1万円札などの紙幣や証紙・株券・地図用紙など重要な書類に使われます。強くて艶が有り、栽培が容易な事から、上記にあるように明治12年大蔵省造幣局が紙幣に応用し三叉を原料として紙幣を作ってから、三叉の利用度は非常に高くなりました。
手漉き和紙業界でも、野生だけで供給量の限定されたガンピの代用原料として栽培し、現代の手漉き和紙では、コウゾに次ぐ主要な原料となっていて、現代の手漉き鳥の子和紙ふすま紙の主原料は、ミツマタです。