2月3日

今日は節分ですね。暦上は立春の前です。元々「節分」は、二十四節気の「立春立夏立秋立冬」の各季節の始まりの前日のことを指していました。「節分」…文字通り節を分ける・季節を分けるという意味があります。江戸時代以降、特に立春の前日を指して呼ぶようになって、雑節の一つとされています。
そして、二十四節気の、小寒から立春までとされる大寒の最後の日でもあるため、寒さはこの日あたりが一番厳しいとされています。で…今日の節分までは暖かですが、明日からはかなり冷え込む予報。しかも、東京にも雪マークまで出ております。まぁ、まさに天気予報はその通りになったと…

さて『節分』が特に立春の前日のみを指すようになったのには、冬から春に変わる時期を一年の境と考え、現在の大晦日と同じ意味を持つとされた為です。
因みに三寒四温という言葉がありますが、これは元々は「晩秋から初春にかけて、3日間くらい寒い日が続いたのちに4日間くらい暖かい日が続き、これを繰り返すことを指しています。
中国北東部や朝鮮半島などではかなり規則的な現象としてあらわれる気象現象です。これが本来の意味ですが、現在の日本では、春先のだんだん暖かくなる様子を表す言葉として使われていると思います。


で、昔は季節の変わり目には、「邪気・鬼が生じる」と信じられていて、それを追い払う為の「悪霊払い」の行事が行われていたわけです。
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ところで、節分の由来は何度もオイラのブログで説明しているように、「豆まき」の行事は中国から伝わった行事で、「鬼やらい」「鬼走り」「厄払い」「厄落とし」などとも呼ばれ、疫病などをもたらすとされた悪い鬼を追い払う儀式ですね。
初めて行われたのは、706年の文武天皇の時代で、宮中で行われた記録が残っているそうです。以後、宮中の年中行事として伝わってきて、『延喜式』と名づけられた「節分行事」は、彩色した土製の牛と童の人形を、大内裏の各門に飾るものでした。平安時代から続くこの儀式は、室町時代での「桃の枝信仰」へと移り、更に炒り豆で鬼を追い払う行事へと変化して行ったのです。

ところで…節分の日付は毎年「2月3日」ですが、この日付は1985年から2024年までに限られています。知ってましたか?「旧正月」のように日付の違いで話題にはなっていないようですね。
それなりの年齢の方(爆)は、思い出してみてください。1984年までは、4年に1度の閏年に2月4日だったのです。2025年から(2021年からになる可能性あり)は閏年の翌年に2月2日になります。つまり、節分の日付は数十年で少しずつ変わるのです。しかし…立春の前日とと言うことでの位置は変わりません。
節分の日付は数十年のスケールで徐々に前倒しになってきます。まぁこういった日付が変わるというのは、間接的には天体の運行と、厳密には標準時とも関連してくるわけですが、これは、4で割り切れても閏年とならない1900年、2100年、2200年……の翌年に1日遅れて帳消しになります。ですが、「節分を祝う風習は、日本以外の世界の国々にはない」ので、問題はないでしょう(笑)