二ヶ領用水の久地分量樋


先日、暑いなかを帰宅コースを川崎からの南武線に。

川崎駅…ではなくて、鶴見の街で買い物があったからなのですが、その後川崎からのコースにしたのです。

んで…武蔵溝ノ口駅で降りて、お蕎麦屋さんに。本来ならばそのまま帰宅コースなのですが、今回はコチラに散策。f:id:ChameleonArms221:20190808092522j:image二ヶ領用水の久地分量桶です。
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江戸時代に、二ヶ領用水は多摩川から上河原堰及び宿河原堰の2箇所で取水されたのち、高津区久地で合流し、久地分量樋へ導かれ、そこで四つの堀(久地堀、六ヶ村堀、川崎堀、根方堀)に分水されていました。
久地分量樋は、樋(つまり、この水門)によって、決められた水を分ける施設なのですが、正確な分水ができなかったので、当然のように、水量をめぐる水争いが絶えませんでした。

そこで、昭和16(1941)年に「久地円筒分水」が造られました。f:id:ChameleonArms221:20190808133218j:image
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f:id:ChameleonArms221:20190808133223j:image二ヶ領用水から取り入れられた水は、平瀬川の下を潜り、再び噴き上がってきた水を円筒の円周比により四つ堀に分水し、各堀へ正確に用水を供給しています。

この円筒分水の技術は、当時としては大変に優れた自然分水方式だったことから、各地で同様のものが築造されました。
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「久地円筒分水」は、その歴史的な重要性や、全国に広がる初期の円筒分水の事例であることから、平成10(1998)年に国の登録有形文化財に登録されています。