羽村堰

東京都内を、延々と武蔵野から四谷までをも流れる玉川上水の起点です。
羽村の堰》です。

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この「羽村堰」は、かつてその美しい景観から 「羽衣の堰」 とも呼ばれたそうです。
江戸時代の呼び名ですがね。

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玉川上水の起点って言っても、ここ東京都の地図で見れば判ると思いますが、東京都の真ん中より更に西です。ここから都心の四谷の辺りまで続いてるンですからね。昔の人力のみの土木工事で。。。。。
玉川上水ってスゴイですよね~٩(๑❛ᴗ❛๑)۶

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けど、対岸に渡るとこんなモノが並んでいるところがあります。これが昔の堰を復元したものです。
これが昔はズラッと並んでいたんですね。
☆☆江戸時代、総延長が600メートルを超える堰が築かれました。☆☆
多摩川の流れをこの堰によって流れを制限して用水へと導くわけです。
当時はこのように竹や、木や石でつくられたこの堰が、幾つも並べられて多摩川を斜めに横切り、水門へと水を導いていたわけです。

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現在は、当然ですが上の画像の形になっています。材料は勿論コンクリート(笑)。
現在もほぼ当時の位置と規模のまま、現役の水道施設として機能しています。

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この近辺の小学生の社会見学の定番施設らしい。
だけど都心の人達はあまり知らない人が多いんだよね。

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玉川上水』は知ってると思うけど…
太宰治が入水自殺をした場所って、井の頭公園のすぐ近くなんですよ。今じゃあ、あんな流れで入水自殺なんて出来ないだろうと思うけどね。