二ヶ領用水

二ヶ領上河原堰。二ヶ領用水のために作られた多摩川で初めての取水堰です。
イメージ 1
※全部携帯の画像です
コチラは東京都側から見てる景色です。この景色が好きなんですよね。
イメージ 2
二ヶ領本川の取水口で中野島取水口です。
『二ヶ領上河原(にかりょう かみがわらぜき)』
イメージ 6
この上河原堰は東京湾河口から約26kmの位置にあります。上河原堰は江戸時代(慶長16年=1611年)に作られた二ヶ領用水の取水堰で、1941年にコンクリート化されました。
イメージ 3
二ヶ領用水の名前は川崎領と稲毛領の二つの領を潤す用水のため命名されました。多摩川の反対側の六郷用水と共に、家康の命により代官小泉次大夫により掘られたものです。この小泉次大夫については、以前に『次大夫堀公園』(←記事)で。なお、六郷用水は世田谷領、六郷領の2ヶ領を流れているため、両方をあわせて四ヶ領用水とか、ほぼ同時に掘られたため、双子用水と呼ばれたこともあったようです。 
イメージ 4
住所は多摩川の右岸側が川崎市多摩区上布田で、左岸側が調布市染地二丁目になります。
多摩川の上流の奥多摩湖から流下した流れは両岸を東京都に囲まれて西に流れてきますが、この上河原堰の約2km上流で、東京都の稲城市を境として右岸側は神奈川県川崎市に変わります。
イメージ 7
コレは魚道ですね。魚が上流に上る為のもの。多摩川のこの辺りでも鮎釣りが出来る。
イメージ 5
これ以降は多摩川は左岸の東京都と、右岸の神奈川県の都県境としての機能も保ちながら流下し東京湾に注ぎます。コレまでにも記事にした事がありますが、多摩川に架かる橋って好きなんですよね。
で…コチラが川崎市側からの景色です。
イメージ 8
二ヶ領用水の取水のために多摩川に設けられた取水堰です。
まぁ残念ですが、当然この堰の通路は進入禁止です。見学通路があってもいいのにナァ…。
こちら側が上河原堰の上流部ということになります。右側手前、画像が切れちゃってますが、小さく浮子が写ってる所が、二ヶ領用水の取水口になります。
ここから二ヶ領用水がスタートします。
イメージ 9
上河原堰の上流は静かな人造湖みたいなものです。コイやフナ釣りに適した場所が続きます。
さてと…この堰から下流へ移動すると『宿河原堰』があります。二ヶ領用水の取水口は、当初は上河原堰のみだったのですが、その後水量の安定化を図るために寛永6年(1629年)に、下流の登戸付近の宿河原堰提が作られました。
*勤務の日程で今年は観に行くことが出来なかったですが、前日は宿河原堰の土手からダイヤモンド富士を観測出来たはずです。
上河原堰近くにあるのは『京王相模原線鉄道』の橋ですが、宿河原堰のすぐ傍にあるのは『小田急電鉄』の橋です。この橋のところがあの有名な『岸辺のアルバム』のモデルになった場所になります。
上河原堰と宿河原堰と魚道と『岸辺のアルバム
二ヶ領用水は、現在のJR南武線沿線の農業用水として大いに利用されたようです。かつて江戸で、すし飯として人気のあった稲毛米もこの用水の流域で作られたものです。この上河原堰には以前より階段式の魚道が1本あったのですが、1994年~1995年に改築が行われ、最新式魚道が左右に2本ずつ設置されています。
多摩蛾の鮎もこれがあるので遡上してくるようになったと言う事です。堰周辺はモツゴ(=ハヤ、クチボソ)や、ドジョウなどが見られますし、渡り鳥などを観察する格好の場所にもなっていますね。