コウヤボウキ

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そろそろ咲いてるかな?と思い探しに行ってきました。
以前に別ブログにてコチラをアップしてますが→『ナガバノコウヤボウキ(長葉の高野箒)』(←記事→)『コウヤボウキ(高野箒)』細かい説明もそちらで…(笑)。
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コウヤボウキ 高野箒
ンじゃ画像だけでいいかな?と…言うわけにもイカンのでwww。
◇科名:キク科 ◇属名:コウヤボウキ属(Pertya=(Pertya=スイスの自然科学者A.M.Perty(1800~1884)の名に因んだもの) ◇学名:Pertya scandens(scandens 攀(よじ)登る性質の)
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『コウヤボウキ』の名前の由来は、高野山からで、高野山には竹・梨・胡桃・桃などの竹木がありませんでした。利潤を得る 行為を戒めるという意味で商品作物の栽培が禁じられていたのです。代わりに使われたのがこの植物だったわけです。高野山ではこの茎を束ねて箒の材料としたのです。
『高野箒』(玉箒たまぼうき)は名前の由来のとおり、高野山で使われていた箒ですが、かつては様々なところで使われていたようです。
蚕室の掃除や木綿についたチリ払いとかをはじめ、酒樽についたにごりの泡のふき取りとかの、屋内や狭いところのちり取りに使われていたようです。
奈良期の宮中で、中国伝来の宮中行事にのっとり正月初子(はつね)の日に蚕室の掃除をする儀式が行われていたときに使われるのが『コウヤボウキ』の枝を束ね、宝玉の飾りを付けた『玉箒』と呼ばれるものです。万葉集にこの歌があります。
原文: 始春乃 波都祢乃家布能 多麻婆波伎 手尓等流可良尓 由良久多麻能乎  大伴家持
初春の 初子の今日の 玉箒 手に執るからに ゆらく玉の緒
歌の意味は判りますよね。天平宝字2年(758年)の正月3日に、宮中で群臣らとともにこの玉箒を賜ったときに詠んだ歌です。
※そのときの玉箒が奈良の正倉院に保存されていると言うことです。『子日目利箒(ねのひのめどきぼうき)』と呼ばれています。コレ→『子日目利箒(ねのひのめどきぼうき)』
関東地方~九州のやや日当たりのよい林下に生え、高さは60~90cmくらいです。枝は灰褐色で細く、短毛があります。箒に使われることで判るかもしれませんが、キク科ですが草本ではなく木本…つまり低木です。
本年枝には長さ2~5cmの卵形の葉が互生しますが、前年枝には節ごとに細長い葉を数個ずつ束生します。
歯状の浅い鋸歯があります。表裏ともに伏毛があります。
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本年枝の先端に白い頭花を1個ずつつけます。※『ナガバノコウヤボウキ』は、2年枝に花がつきます。
花は小さな筒状花が13個ほど集まったもので、筒状花が深く5裂します。裂片はそり返って、総苞は狭卵形の総苞片が重なり合う円柱形です。
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果実はそう果で毛が密生し、先端には冠毛があります。冬芽は白い毛に覆われます。
果実は痩果で5.5mmほど。タンポポなどと同様に、先端に剛毛でできた冠毛があり風で飛ばされます。痩果が飛ばされた後には総苞が残り、冬の間はこれが花のようにも見えます。
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もう一首万葉集に詠われています。
原文:玉掃 苅来鎌麻呂 室乃樹 與棗本 可吉将掃為  長意吉麻呂(ながのおきまろ)
玉掃(たまばはき) 刈り来(こ)鎌麻呂 むろの木と 棗(なつめ)が本(もと)と かき掃(は)かむため
意味玉掃(たまばはき)を刈って来なさいよ、鎌麻呂さん。むろの木と、棗の木の下を掃除するために 
え~と、コレはモチロン戯れに詠まれたものと思われますが…まさか…使いッぱのイジメじゃないよね(爆)。