七五三は,,,,

さてと…別ブログに土曜日に永福町の大宮八幡宮の七五三の記事をアップしたのですが
...記事.→あ~七五三か…
取り敢えずの蘊蓄?みたいなのを書きましたが.......もうちょっとだけ詳しく説明してみましょう(b๑╹ω╹๑ )七五三はまさにその名前の通り、もともとこの日に3歳・5歳・7歳の子供の成長を祝うものですが、しかし元々を辿れば…まったく違うお祝いが別々に行われていたのです。
公卿の家では昔は、男の子が三歳になると、袴をはかせて丈夫に育つように願をかける《袴着:はかまぎ》と言うお祝いがありました。
その仕来りが室町時代武家にも伝わって、子供を碁盤の上に立たせて袴を付けるという《着袴の儀:ちゃっこのぎ》が行われるようになったのです。
で…別ブログに簡単に記したように、それとは別に江戸庶民の間でも儀式を行うようになるのですが、コチラは3歳ぐらいから《髪置き:かみおき》と言う髪の毛を伸ばし始める儀式が行われていたのです。まぁ今じゃあ子供でも親の遊び?なのか髪を染めてたり、パーマを掛けてたりとか、モヒカンみたいな変わった髪型の子供を見かけますが、江戸時代じゃあそんなのはありませんからね(笑)。
で…他にもですね~、3歳から5歳ぐらいまでの間に《帯解き》とか《帯祝い》と言う、帯を締め始める儀式も存在していたンですね~。
で、ですね、
まぁそんなに色々と儀式を行っても…とか言う事なのかどうかはわからないですが、これらの儀式が江戸時代になって1つへとまとまるようになったのです。
七五三はですね、所謂…子供の死亡率の高かった時代の「よくぞここまで育った」と言う区切りのお祝いと、「この先も丈夫で成長するように」と言う願いが込められたお祝いの日なのですね~。
まぁ…それまで、色々な子供のお祝いがあったものが、江戸時代に1つにまとまり現在の《七五三》の形式になったものなのですが、コチラも別ブログの記事にも簡単に触れてますが、最初はきまった日時などはなくて、それこそ…正月とかですね、子供が産まれた月の吉日などに自由に行っていたのです。
で…それが現在のような11月15日というようにに定まったのはですね、別ブログに書いたように江戸中期て、正式には5代将軍徳川綱吉の時代で、綱吉の子供である、徳松の髪置きの祝いが11月15日に行われたのがきっかけだと言われています。
陰陽道(おんみょうどう)】では、1月15日を《上元:じょうげん》7月15日を《ちゅうげん》と言い、そして11月15日を《下元:げげん》の日として吉日と考えていました。
その為に、綱吉は息子の祝いをその吉日に設定したのです。
また七五三の日に、子供たちに昆布を食べて丈夫に育ってもらおうと1982年に昆布の日も制定されました。