ムラサキ

名前はムラサキですが、花はムラサキではなく白いのがこの植物です。

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【ムラサキ/紫】
古来より紫色の染料としても用いられてきました。奈良時代から江戸時代末期まで栽培が行われてきましたが、明治時代以降は合成染料の登場により商業的価値を失ったこともあり、ムラサキ自体も絶滅危惧種レッドデータブックIBにランクされるまでになってしまいました。

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万葉集には10首もの歌が出ていて、生活にはお馴染みだった花です。

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この歌が有名です。
《原文>茜草指 武良前野逝 標野行 野守者不見哉 君之袖布流 》【作者 額田王(ぬかたのおおきみ)】
《読み>茜さす、紫野(むらさきの)行き、標野(しめの)行き、野守(のもり)は見ずや、君が袖振る》
《意味>茜色の光に満ちている紫の野、天智天皇御領地の野で あぁ、あなたはそんなに袖を振ってらして、野守が見るかもしれませんよ。》
この歌への返歌がコチラですね。
《原文: 紫草能 尓保敝類妹乎 尓苦久有者 人嬬故尓 吾戀目八方 》【作者 大海人皇子(おおあまのみこ)】
《読み>紫の、匂(にほ)へる妹(いも)を憎くあらば、人妻ゆゑに、我れ恋ひめやも》
《意味: 紫のように美しい君。君を憎く思うのなら、人妻なのにどうしてこんなに想うものでしょうか。》
額田王】と【大海人皇子】と言うと、、、、、、コレはあまりにも有名過ぎるお話しになりますナ~~( ̄◇ ̄;)
額田王】は【天武天皇】の妃ですね。美女として知られておりますね。で、十市皇女の出生後【天武天皇】の兄である【中大兄皇子、つまり天智天皇】に寵愛されたという話が有名ですが、それを示すとされるのが、この2首。この2首などをめぐって天智・天武両天皇との三角関係を想定する理解があるワケですね~(*☻-☻*) 額田王は、天智天皇天武天皇=大海人皇子の二人と結婚し(当然側室ですが)別れています。
まぁ実際には、この歌の詠まれた時の額田王大海人皇子との結婚生活は終わっていますし、天智天皇との関係も途切れ途切れの頃です。
天智天皇大海人皇子の仲が、きな臭くなるのはずっとあとですからね~!(◎_◎;)
で、、、、、この歌の解釈ですが、蒲生野での薬狩りのあとの宴で読まれた、となっています。薬狩りは、男性は狩猟、女性は薬草摘みをすると言うものですが、そのあとの所謂、飲み会(笑)で元夫と.最近は訪れも途切れがちの夫が目の前にいると、、、、、。しかもこの二人は兄弟。額田王の方は女としてはもう盛りは過ぎたとはいえ、歌人としての名声(プライド?)もあるし、皆が自分の歌に注目しているので、ココはちょっとギャグの一つもかましてやろうかといった歌だと考えられています。これらのお話は、いろんな解釈があるようですが、実際ド~なんでしょ~~( ̄◇ ̄;)
因みに、蒲生野は天皇家の直轄領の薬草園で一般人は立ち入り禁止区域=標野=印をつけてある区域。当然当時の染料の「ムラサキ」も植わっていますので、別名は「紫野」。「あかねさす」は紫の枕詞。ですから、歌は野守の前で切れます。野守はそこの番人、当然天皇の使用人。袖を振るのは当時の求愛の仕草です。
さてと話しをムラサキに戻して、、、、、

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◇科名:紫科 ◇属名:ムラサキ属(Lithospermum=リソスペルマム。ギリシャ語の「lithos=石+sperma=種子」が語源 ◇学名:Lithospermum erythrorhizon(erythrorhizon=赤い根の)
名前の由来は、学名にあるように根が紫色であることからで、染料などに使われるくらいなので、小さな可憐な花に似合わず根は太いのです。

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この根を紫根(しこん)と呼びます。紫色の染料や薬用に使われます。
生薬は日本薬局方では「抗炎症作用」「創傷治癒の促進作用」「殺菌作用」などがあります。
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