豚の日

今日は『豚の日』…と言う記念日なのでございます。
1972(昭和47)年の今日、3月1日に、アメリカのエレン・スタンリー、メアリー・リン・レイブ姉妹が、最も利口で役に立つ家畜のひとつである豚への感謝をこめて制定したとされています。
きれい好きな性質と子をたくさん産むことから「多産・家庭の幸せの象徴」とされたり、美味しいお肉にもなることからヨーロッパやアメリカでは「富を産む象徴」とされています。
中国や韓国、チリでも縁起物とされていて、東西を問わず幸せを呼ぶ生き物とされています。
※日本で無理矢理、制定した豚の日もありますね。え~~ここまで書けばもうお判りかと…思うのですが(笑)。そう、ダジャレ好きな日本人の考えた日ですから…
10月10日でございます。え??なんで?なんて言ってる分からず屋はいないでしょうね。10(トン)10(トン)

因みに…『豚に真珠』と言う諺がありますが…
これは「猫に小判」「馬の耳に念仏」と同じ意味で、価値の判らない物に価値のある物を与えても無駄になる」として使われていることわざ(諺)ですね。しかし…この「豚に真珠」と言うのは、実は聖書の一節から来ているのです。
「神聖なものを犬に与えてはいけない。また、真珠を豚になげてはならない。おそらく彼らはそれを足で踏みつけて、向き直ってあなたがたに噛みついてくるであろう。」(*マタイによる福音書、7章6節)に由来しているのです。

因みに明日は...
『この桜吹雪が目に入らぬか!』で、ご存知の遠山の金さんこと、遠山左衛門尉景元が、1840年(天保11年)のこの日に北町奉行に任命されました。この時、この方、40歳前後です。
あ~~そうそう、または遠山金四郎景元ですね。幼名は通之進です。
1843年(天保14年)2月24日まで在職していたと…記録にあります。
で…3年務めて大目付に転出します。そして1845年(弘化2年)から1852年(嘉永5年)までの約7年間は、今度は南町奉行に任じられます。ただ、「寛政重修家譜(787巻)」によれば、景元の通称は“通之進”と呼ばれていたそうです。つまり…“通さん”なワケで…“金さん”ではないンだよね~(笑)。
江戸には北町奉行所と南町奉行所があり、1か月ごとに、交換で勤務にあたっていました。

さてさて…そう言えば、豚なんですが,,,,,豚って、生きている時は[ピッグ:pig]ですが、食べるときは[ポーク:pork]になってしまいますね。まぁ、日本でも[稲]を刈り取ると[米]料理すると[ご飯]になってしまうような物なのかな?とか…?。
実はコレには民族的な、根深い問題が潜んでいたりします。
英国と仏蘭西は、どちらかというと、仲が悪いと言われていますが、それは10世紀から11世紀にかけてフランス(つまり、ノルマン民族)が、イギリス(アングロサクソン民族)へ侵略してきた頃にまで話が遡ります。
ノルマン民族に征服されてしまったアングロサクソン民族は、ただ支配に置いただけでなく、文化的な物まで捨て去りノルマン民族に服従しろと迫ったのですね。
つまり、昨日まで使っていた自分たちの言葉まで捨てて、今日からはノルマン語を使わなければいけないというのです。侵略されてしまったのですから、形の上ではそれに従うしかなかったのですが、自分達が独自の文化を創り上げてきた誇りがありますので、そう簡単に言語まで捨て去ることは出来ませんでした。
そこで、ノルマン人がいない農場などでは豚のことをアングロサクソン語で[ピッグ;pig]と呼び、それを肉としてノルマン人などに食べさせる時はノルマン語で[ポーク:pork]と呼んでいたのです。
その後、ノルマン人の支配から逃れることが出来るようになってからも、それが風習として残り、生きている豚と食用となった豚を別の名前で呼ぶようになったのです。
他の食用家畜に関しては同様で、牛も[cow → veal]、羊も[sheep → mutton]と変化します。