五月五日は~ ♪ の日

エ~~、『なんちゃらウィーク』とやらを満喫されている皆さんにとっては、明日が最終日ですね。
と言う事で、お車や電車であるいは、飛行機や船でお出かけの方達にとっては、もしかすると交通マヒや満員の列車で大変な時かもしれませんが....
とにかく、今日は五月五日と言う事で『こどもの日』でございますね。

5月5日は[端午の節句]として、男の子の成長を祝う日とされています。
現在では同時に[こどもの日]と言うことで男女の関係なく、お祝いをする国民の祝日となっています。
まぁ、以前にも別ブログで説明したのですが改めて…。
端午とは「月のはじめ(端)の午(うま)の日」を意味します。これが「午」は「五」に繋がることから毎月5日を指すようになり、さらには月と日が一致する5月5日を特別な日とするようになったものです。
中国では、この日を邪気をはらい、健康を祈願する日とし、野で薬草を摘んだり、ヨモギで人形を作って飾ったり、菖蒲酒を飲んだりして過ごします。
日本でも、菖蒲やヨモギで薬玉(くすだま)を作ったり、菖蒲湯につかったり、菖蒲枕で寝たりと、菖蒲尽くしにしたようです。菖蒲の強い独特な香りが、健康を保ち邪気をはらうと信じられてきたからと言われています。このことから「端午の節句」は「菖蒲の節句」とも呼ばれます。
鎌倉時代になると「菖蒲(しょうぶ)」と「尚武(しょうぶ・・・武を重んじること)」は読み方が同じことから、「端午の節句」は「尚武の節句」として、男の子の成長を祝い、健康を祈る日となってきました。上巳の節句雛人形を飾るのに対し、端午の節句は家の中には鎧かぶとや武者人形を飾り、庭には鯉のぼりをあげてお祝いします。また生まれた子が初めて迎える節句を「初節句」といい、女の子は3月3日の「桃の節句」に、男の子は5月5日の「端午の節句」に盛大なお祝いをします。
※因みに…五節句と言って、1月7日人日(じんじつ)、3月3日上巳(じょうし)、5月5日端午(たんご)、7月7日七夕(たなばた)、9月9日重陽(ちょうよう)があります。
で、上記しましたが…端午の節句には'今の住宅事情ではどうか知りませんが)、鎧兜を飾りますね。
コレには、男子の身体を守るという意味が込められています。そして、鯉のぼりは、中国の「鯉の滝登り」などにあるように、鯉には立身出世のイメージがあることから、鯉のぼりをたてることで男の子の将来の出世を祈ります。
それから、ちまきや柏餅ですが、コレは『柏餅』とは、餡の入った餅を柏の葉でくるんだものですね。
柏の葉には新芽がでないと古い葉が落ちないという性質があります。これを昔の人は「子(新芽)が生まれるまで親(古い葉)は死なない」=「家系が絶えない」ということに結び付け縁起物としました。次に『ちまき』ですが、ちまきを食べるのは中国から伝わった風習です。中国戦国時代の政治家でもあり詩人でもあった屈原(くつげん)が国の将来に絶望し、汨羅江(べきらこう)に入水自殺してしまいます。じつはこの日が5月5日でした。人々は国と人民のために尽くした屈原の死を悲しみ、魚がその亡骸を食べてしまわないように、ちまきを川に投げ入れました。またその後も命日(5月5日)には屈原の無念の思いを弔うためにちまきを川に捧げたのです。
 

さて…今日はメロンの日でもあります。別に記念日というわけではない。
もっとも…確かにメロンの生産で知られるトルクメニスタンでは、『メロン日』として、トルクメニスタン国民の祝日であることは間違いないのですが…。1994年にトルクメニスタン大統領のサパルムラト・ニヤゾフにより設定されました。メロンの日には、首都アシガバートでメロンを含む様々な種類の果物が販売され試食イベントやメロンに関する様々なコンテストが行われたり、ダンスや音楽などのイベントも行われているらしいです。
まぁその話は\( ̄□ ̄\ / ̄∀ ̄)/コッチへ置いといて…
メロンというと値段が高いと言うイメージだったり、病気のお見舞い専門とか贈答品と言うイメージが大きいですな。フルーツ売り場でも、いかにも果実界の王様といった感じで並んでおります。しかし…メロンは園芸学上の分類で言うと果実ではないんです。判りますよね~そう、西瓜と同じ分類になります。つまり野菜に属する物なのです。イチゴもそうなのですが、園芸学上で果実として定義されているものは「苗木が生長して実が生り、その後も数年に渡って実が生る作物」を指している為、1年性のメロンは果実の様な顔をしていても野菜なのです。

めろんの産地で有名なのは、北海道の夕張です。で…その夕張メロンは、種を手に入れて他の地域で生育しても夕張メロンにはならないのです。何故かというと…実はJA夕張の登録商標なので、北海道のJA夕張が出荷した物だけが夕張メロン
めろんの日と言う事で....(笑)
 
因みにコレも以前説明しましたが…アンデスメロンとはアンデス地方原産のメロンではない。
農家の人が苦労に苦労を重ねて安心して簡単に作ることが出来るメロンを開発し、「安心して作れるメロン」→「安心ですメロン」→「アンデスメロン」と名付けたからです。
※実は最近、そのアンデス地方でも少しだがアンデスメロンが作られているそうです(笑)。
 
それでは蘊蓄です。メロンは明治初年に初めて日本にやってきたのですが、日本で一番最初にマスクメロンを食べたのは大隈重信でございました。その味に感動して「マスクメロン協会」を設立したのです。ちなみに初代会長は伊藤博文。つまり明治政府の重鎮…というかトップですからね~(笑)。あ…コレも以前記事にしたンだっけ。