コウヤボウキ

花はカシワバハグマ(←記事)に、よく似ています。
イメージ 1
コウヤボウキ 高野箒
関東地方~九州のやや日当たりのよい林下に生え、高さは60~90cmくらいです。枝は灰褐色で細く、短毛があります。
◇科名:キク科 ◇属名:コウヤボウキ属(Pertya=(Pertya=スイスの自然科学者A.M.Perty(1800~1884)の名に因んだもの) ◇学名:Pertya scandens(scandens 攀(よじ)登る性質の)
名前の由来は昔、和歌山県高野山には竹、梨、胡桃、桃などの竹木がありませんでした。利潤を得る行為を戒めるという意味で、商品作物の栽培が禁じられていたのです。それで竹箒が作れず、代わりにこの木の枝を束ねて箒を作ったことから『高野箒』の名が付いたといわれています。
箒に使われることで判るかもしれませんが、キク科ですが草本ではなく木本…つまり低木です。
イメージ 3
本年枝には長さ2~5cmの卵形の葉が互生し、2年目の茎には1年目の葉がついていた場所に細長い葉を数個ずつ出るので、大きく印象が異なって見えます。歯状の浅い鋸歯。
イメージ 2
花は1年目の枝の咲きに一個ずつ付きます。白~淡紅色。開花期は10月ころで、花は小さな筒状花が13個ほど集まったもの。5裂し、裂片はそり返ります。
イメージ 6
2年目の茎は秋に枯死します。
冬芽は白い毛に覆われます。似た花のナガバノコウヤボウキは2年枝に花がつきます。
コチラがナガバノコウヤボウキ(←記事)
イメージ 5
『高野箒』(玉箒たまぼうき)は名前の由来のとおり、高野山で使われていた箒ですが、かつては様々なところで使われていたようです。
蚕室の掃除や木綿についたチリ払いとかをはじめ、酒樽についたにごりの泡のふき取りとかの、屋内や狭いところのちり取りに使われていたようです。
奈良期の宮中で、中国伝来の宮中行事にのっとり正月初子(はつね)の日に蚕室の掃除をする儀式が行われていたときに使われるのが『コウヤボウキ』の枝を束ね、宝玉の飾りを付けた『玉箒』と呼ばれるものです。万葉集から…。
原文: 始春乃 波都祢乃家布能 多麻婆波伎 手尓等流可良尓 由良久多麻能乎  大伴家持
初春の 初子の今日の 玉箒 手に執るからに ゆらく玉の緒
天平宝字2年(758年)の正月3日に、宮中で群臣らとともにこの玉箒を賜ったときに詠んだ歌です。
※そのときの玉箒が奈良の正倉院に保存されていると言うことです。『子日目利箒(ねのひのめどきぼうき)』と呼ばれています。コレ→『子日目利箒(ねのひのめどきぼうき)』
もう一首万葉集に詠われています。
原文:玉掃 苅来鎌麻呂 室乃樹 與棗本 可吉将掃為  長意吉麻呂(ながのおきまろ)
玉掃(たまばはき) 刈り来(こ)鎌麻呂 むろの木と 棗(なつめ)が本(もと)と かき掃(は)かむため
意味玉掃(たまばはき)を刈って来なさいよ、鎌麻呂さん。むろの木と、棗の木の下を掃除するために 
え~と、コレはモチロン戯れに詠まれたものと思われますが…まさか…使いッぱのイジメじゃないよね(爆)。

イメージ 4
果実はそう果で毛が密生し、先端には冠毛があります。冬芽は白い毛に覆われます。
果実は痩果で5.5mmほど。タンポポなどと同様に、先端に剛毛でできた冠毛があり風で飛ばされます。痩果が飛ばされた後には総苞が残り、冬の間はこれが花のようにも見えます。