タチバナの実

タチバナは古くから神聖な樹とされ、古事記日本書紀にも逸話としてあるいは名前として多く登場していますね。万葉集にはタチバナが登場する歌が約70首もあり、コレは登場数では第5位になります。万葉集では萩、梅についで66種も登場し、その多くは花橘としてになります。
◇科名::蜜柑科 ◇属名:ミカン属(シトラス)Citrus(レモンの木に対する古い呼び名) ◇学名:Citrus tachibana(tachibana=タチバナ)
柑橘類で日本原産のものはこの『橘』だけ。
タチバナ
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【非時香実(ときじくのかぐのみ)】

古事記および日本書紀垂仁天皇の段の最後に登場する話。
天皇の命で田道間守(だぢまもり)が常世の国に非時香実を探しに行きます。この実を食べると不老不死になるといわれ、海の彼方の誰も行くことのできない国にあるとされており、田道間守は苦労してこれを持ち帰るが、すでに天皇は亡くなっており、陵墓の前で泣き叫んだまま息絶えてしまいます。この実が橘なんですね。
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タチバナの語源も、タヂマモリが転じたとする説がありますが、あるいは田道間守の名そのものが、「田の道で(香りが)目立つ存在」の意を持つとも考えられています。
橘が不老不死の薬とするのは中国の神仙思想の影響を受けていて、タチバナが日本の在来種であるのにわざわざ常世の国(中国?)に採りにいくのは不思議なのですが……ね。

果実は木菓子と呼ばれていたことから、田道間守は菓子の神として、兵庫県にある【中嶋神社】に祀られています。

昭和12年文化勲章の図柄として、橘が採用されました。
これは昭和天皇ご自身のお申し出によるものです。文化現象には永劫性がなければならないので、常世の国に永劫の力を求めた公のいわれを重んじられたということです。

弟橘媛(おとたちばなひめ)」

こちらのエピソードは、『垂仁天皇』の次の代(第三子)、景行天皇の段では有名な日本武尊(やまとたけるのみこと)が登場します。日本武尊は、父である景行天皇の命により九州の熊襲討伐に続いて、東国の蝦夷討伐に出陣しますが途中、伊勢神宮に寄り草薙の剣を授かります。駿河では賊に騙されて野火に囲まれてしまうが、草薙の剣により迎え火を起し、賊を返り討ちにする話は有名ですよね~。で……その後、相模の国に入った日本武尊は、房総半島に渡ろうとするのですが、海神の怒りで暴風雨となってしまいます。そのとき妃の弟橘媛が「私が身代わりに海に入ります」と言って入水すると、海は鎮まり尊の船は無事に房総に渡ることができたと言われています。無事に東国の蝦夷たちを討伐し終えた尊が、都に帰るために足柄の山を越える際、【碓日坂(碓氷峠箱根山中にある)】で弟橘媛を思い出しながら東を振り返り、「吾妻はや(わ妻よ)」と三度嘆いたとされています。
実は…これらの話の中に、様々な地名起源説話が登場してきますね。
草薙の剣で野火から逃れた地を「焼津」(静岡県焼津市)、「草薙」(静岡市)、房総に渡った海を「馳水(はしりみず)」(横須賀市走水)、媛の袖が流れ着いた地を「袖ヶ浦」(千葉県袖ヶ浦市習志野市、神奈川県二宮町などにある)、さらに東国のことを「あずま」と呼ぶことなどがあります。
日本武尊弟橘媛を深く愛していて、媛を祀るために御陵をつくり、その櫛を納め、橘の木を植えたとされていて、これは千葉県茂原市にある橘樹神社の始まりとされています。延喜式では上総国の二宮。
日本武尊弟橘媛の伝承は関東の各地に残っていて、この2神を祀る神社も多くあります。
川崎市高津区には、同様の由来のある橘樹神社があり、近くにある6世紀ころの古墳を弟橘媛の陵としています。また神奈川県二宮町の吾妻山には吾妻神社がありますね。富士🗻山が素晴らしい眺めの所です。神社前一帯の梅沢は、流れ着いた櫛を埋めて陵を作ったので埋沢が転じたとされていて、また近くの海岸には袖ヶ浦の地名が残っています。
さてと、有名なのがもう一つありますよね~~(b・∀・)

「右近橘」

京都御所の紫宸殿の正面の階段の右側(階段から見て)に橘の木がある。左側には桜があり左近桜、右近橘と相対して有名ですね。
ここに橘が植えられた理由として、平安京遷都以前からこの場所が橘姓の太夫宅で、橘の木が植えたあったためとされています。橘姓の太夫ではなく聖徳太子の側近で、秦河勝という渡来人の宅地であったとする説もあるようなのですが…。
いずれにしろ橘が非時香実(常に香りのある実)として、不老長寿のめでたい樹とされたために受け継がれ、現代の京都御所にも植えられております。
因みに花はこちらですね。
https://other-blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-9b-4b/chameleon_arms/folder/1281489/87/51796387/img_0?1307120024.jpg.640
さてと……不老不死だとかの言い伝えになる割には……このタチバナの実は酸っぱいので、実際には食べられません(笑🤣;)
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壇ノ浦の戦いの前に、追い詰められた平氏は食べ物にも困り、タチバナの実を集めたという話しがあり、とても食べられたものではないのに、そこまで困窮していたと伝えられてもいます。