100円玉

現在は、全てでは無いですが、都心の駅にある自販機や街角においてある自販機では鉄道系のプリベイドカードで買い物が出来るので、小銭を持ち歩かなくてもイイ場合が多くなり便利です。
それでも…自販機で一番使われる事が多いお金は、これでしょう…ね。
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皆さんのお財布に入ってますよね。え??小銭は持たない主義??そんな方はこの後をスルーしてください(笑)
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100円硬貨です。素材は白銅で、銅が75% ニッケルが25%です。量目は4.8gで直径は22.6mm。
図柄は桜。発行開始は、1967年(昭和42年)です。この意匠(デザイン)以前の硬貨は、1957年に戦後初めての銀貨として表面に鳳凰、裏面に旭日を意匠とした100円銀貨です。
硬貨としては、当時の最高額面(最高額面の紙幣は、同年に発行された5,000円紙幣)でした。
その2年後の1959年には量目・品位をそのままに、デザインが稲穂に変更されました。なお、この際に五十円硬貨もデザインが変更となり、デザインはともに一般公募でした。
当初は10年間で8億枚を製造する計画であったらしいのですが、保有銀量が不足していたうえ、電子工業、写真工業など当時世界的な銀需要が増大していました。
アメリカが1965年から50セント硬貨の銀量を引き下げ、25セント硬貨や10セント硬貨を白銅張り銅に切り替えるなど、世界的な銀貨離れの中、日本もこれに倣い1967年から現在の白銅貨に切り替えられることとなったのです。

で…この記事のタイトルになりますが…1957(昭和32)年の今日、12月11日が…百円硬貨が発行された記念日なのです。

あ~~~、長い前振りだった(笑)
しかし、ご存じの方(ある程度の年齢の方www)は以前は100円紙幣があった事を憶えておられるでしょう。
明治時代の硬貨と異なり現在の100円硬貨には法律上の表裏はありません…が、造幣局では便宜上、年号の記された面を「裏」としています。

百円紙幣には、旧百円券、改造百円券、甲号券、乙号券、い号券、ろ号券、A号券、B号券の八種類が存在しています。
一番最後の『B号券』が当然、100円硬貨に変わる前の最後の紙幣のデザインと言う事になりますね。
通称「4次100円」と呼ばれています。
額面は金額表記が100円(百円)。デザインは表面が『板垣退助』で、裏面は『国会議事堂』
コチラです。画像はwikiペディアから
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当時、インフレーション抑制の手段として新円切替が行われていたのですね。
これはごく短期間のうちに旧紙幣を無効化し、つまり…強制預金させて、代わりに発行高を制限した新紙幣(A号券)を発行するものだったのですね。新円切替では、A号券が新たに発行されたのですが…粗製であったため、偽造が横行したり、インフレーションの進行等により新紙幣の必要があったため新たに発行されたのです。、
紙幣の寸法は縦は76mmで、横が148mmでした。発行開始日が1953年の12月1日。支払停止日は1974年の8月1日です。
この100円紙幣は、他のA号券では記番号が省略され「組番号」が印刷されていたのですが、この百円券のみ1枚1枚固有のシリアル番号(記番号)が付されています。今だと当たり前。新円切替後の紙幣なので現在も有効有効券で、現在でも使用出来ます。まぁ…使う人はいないでしょうが。。。。
1950年1月には『B 千円券』1951年には『B 五百円券』と『B 五十円券』が相次いで発行されました。
しかし当時最も流通量の多かった百円券については、「大日本帝国」の文字が残っていたり不必要に大きいなどの欠点を指摘されながらも旧態依然としたA号券がしばらくそのまま使用されました。
1953年12月になって、ようやくこの『B百円券』が発行され、現代的な紙幣であるB号券が出そろうこととなったわけです。
これにより粗製のA号券の回収が一気に加速、1957年の百円銀貨の発行後も、百円銀貨とこのB百円券がしばらく並行して流通していたのですが、1966年8月26日、百円紙幣の廃止が閣議決定されて、1974年を最後にB百円券の日銀からの支払いが停止され、以降は百円硬貨(1967年に白銅貨に変更)へと推移していくことになります。
因みに…『A号券』と言うのは、表面が『聖徳太子と夢殿』で、裏面は『法隆寺』でした。
額面の金額表示は100円(百圓)で、寸法は縦が93mm、横が162mm。発行開始日は1946年の3月1日で、支払停止日は1956年の6月5日でした。