公衆電話☎

今では小学生でさえ、携帯電話を持ち歩く時代ですが、昔は固定電話でさえ、引かれてない家庭が多かったのです。今の時代の若い人や、ましてや子供達からすれば、「それじゃあ、どうやって生活していたの?」でしょうね。
まぁ、20数年~30年前は、DVDどころか、ビデオだってない家庭もあったんですけどね。今の若い方達には「あり得ない❗」時代だったワケです。
話を携帯電話に戻しますが、携帯電話がない時代に外で連絡を取る必要があった時に役立ったのが、公衆電話。
外にいる人に連絡を取りたい時は"ポケットベル"というもので呼び出していました。ボケベルの表示を見て、公衆電話から連絡先に電話したワケです。
*因みに…昔『ポケベルが鳴らなくて』というテレビドラマがあったらしい…ですが、(オイラ、テレビ視ないので)それが人気があったらしい時に、ポケベルが鳴らないのはバッテリー切れだろーなんてツッコミを入れてましたがね。

で、、、、、、その公衆電話。
公衆電話の第一号は、1900年の.9月11日……つまり、116年前の今日に、東京の新橋駅と上野駅の構内に一般的に開放された公衆電話が設置されたのが最初です。
さらに10月には京橋にも公衆電話のボックスが設けられました。この時代の市内通話の料金は1通話分を5分と考え、15銭とされていました。
当時は白米1升の値段が15銭・盛りそばが2銭ほどの時代だったので、かなり値段の張る物だったワケです。
結局、これらの公衆電話は物見高い人々の眺める物にはなったのですが、利用者はほとんどなく(まぁそれ以前に、電話をかける相手がいないのですから当然ですが)結局2年後に5銭に値下げをすることにもなりました(爆)。
ちなみに、この時の公衆電話は相手が出てから10秒以内に硬貨を入れればよいという物だったらしいですね。つまり最初の10秒は無料で電話をかけることが出来たのです。なんとおおらかな時代。
オイラ、今でもテレホンカード持ってますよ。まぁ、まず使う事ないでしょうがね。(〃_ _)σ∥

またまた因みに…実は公衆電話1号はですね、公衆の為でなかったのです。

なんと、1889(明治22)年.の1月1日に、東京-熱海の間に1回線だけ公衆電話が開通したのです。当時の熱海は官界や財界人の保養地だったために、イザという連絡に必要不可欠だったための措置です。
一番最初に取り付けられた、東京-熱海間の物は公衆電話と呼ばずに「商用電話実験」と言ったらしいです。
ケータイどころか、スマホ📱が普通になって、歌の歌詞に公衆電話が出てくることもない。

さてと、今回この話題を取り上げたのは、この前天国への公衆電話が話題になったから。
風の電話