椿《天津乙女》

もういい加減にせんかいΣ('◉⌓◉’)つーぐらいしつこく続いている椿と山茶花の記事アップ。それでも今年は、楽しみにしてた椿園の散策を二ヶ所回っていないんですけどね~~( ̄∀ ̄)
天津乙女 あまつおとめ
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極淡桃色の一重で筒咲き。筒しべの小輪です。
枝は細く枝垂れるタイプです。

京都の大徳寺塔頭《高桐院》に原木があります。♦命名は元住職の【義山老師】

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◇Camellia japonica ‘Amatsu-otome’
☆☆☆さてさて…ココで花好きの方でしたら、お気付きの方がおられると思うけど( ̄∀ ̄b)そう、この品種名には薔薇にも同じ名前があるよね~~(*゚▽゚*)と、言うか…実際のところ薔薇の花の名前とした方が良く知られていると思いますよ。
多分…椿にも同じ品種名の花があるのを知っている人は少ないでしょう。
で……その薔薇の花はコチラですね~~(⌒▽⌒)
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◇作出年:1961年 ◇交配種:Chrysler Imperial x Doreen
花名は、作出当時の宝塚歌劇団のトップスター天津乙女さんにちなんでいます。まさしく黄バラのトップスター。
天津乙女』1905年10月9日 - 1980年5月30日)は宝塚歌劇団団員(元月組主演クラス・月組組長)
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本名は『鳥居栄子』で、芸名は小倉百人一首僧正遍昭の「天つ風 雲の通ひ路 吹きとぢよ 乙女の姿 しばしとどめむ」(あまつかぜ くものかよいじ ふきとじよ をとめのすがた しばしとどめん)から命名
「天津」は「乙女」にかかる和歌の枕詞です。乙女の美名ですね。彼女は在団のまま死去しました。享年75。東京の谷中霊園に墓があります。*位置・甲1号1側。桜通りから3基目、北側)、墓誌は本名「鳥居栄子」名義です。
作出者の寺西菊雄氏は、兵庫県伊丹市にあるバラ専門のナーセリー(育種業者)『イタミ・ローズガーデン』の代表者です。戦後まもなくリノリュームで財をなし東洋リノリュー(現在の東リ)の創業者、寺西福吉の子の致知が今の所在地に「伊丹ばら園」を開園しました。世界中からバラを蒐集し、苗木を増殖し販売する一方で、新しい品種改良にも乗り出し1960年に作出された「天津乙女」を1964年に売り出し、1982年の「マダム・ヴィオレ」は紫のバラの決定版として広く切花として生産されました。2000年に創業者の寺西致知が死去して、現在の名称になっています。2004年には大地真央の芸能生活30周年を記念して、彼女の名を冠した品種「DAICH MAO」を発表しています。
*2005年には静岡県賀茂郡河津町の委嘱をうけて「クイーン・バガテル」をフランス・パリ市に献呈しました。