小金井公園『江戸東京たてもの園』其の四

三井財閥総家』『高橋是清邸』の次はコチラです。

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『会水庵』
会水庵は、 宗?(そうへん)流の茶人【山岸宗住(会水)】が大正期に新潟県長岡市に建てた茶室です。

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山岸会水は、新潟県長岡市真照寺の出身で、本名は普該。長岡では、江戸時代から藩主の茶道が宗?流であったため、会水も宗?流を習ったのです。庵号は長岡にある合水(あいみず)城から。会水は、板谷波山に陶芸を習い、吉祥寺の自宅に窯を設け、楽焼きの茶碗や花入を作り、絵画を瀬尾南海に学んで【聴雪(ちょうせつ)】という名で茶掛の絵を描き、茶室や露地の設計も行った多才。宗?流家元顧問となって、山田宗有(八世)を助け宗?流の興隆に努め、昭和29年に89才でなくなりました。
この菴は昭和2年に山岸家の東京移住にともない吉祥寺に移築されたものなのです。吉祥寺には15畳の書院、9畳の広席のある邸宅と、茶室会水があったらしいです。
山岸邸は第二次世界大戦中、住友金属に買い取られ会社の寮として利用されていました。その後、更地にするため、家屋や樹などが個々に売りに出されたのですが、昭和32年(1957)劇作家の宇野信夫が会水庵と腰掛待合、蹲踞、灯龍を買い取り、西荻窪に移築したのですね。本畳三枚と台目畳一枚からなる三畳台目の小間の茶室。

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『西川家別邸』

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多摩地域でも有数の製紙会社を設立した西川伊左衛門によってたてられた家。1992大正11年の建築。昭島市神町二丁目にあったものです。接客用兼隠居所として使われていてお別荘と呼ばれていたらしい。

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コチラはパンフレットの画像。

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