梅 二十九輪目『内裏』

明日から三月。三月三日は桃の節句です。
お雛様と言えば…内裏。で、、、、、今日の花はコチラ。

イメージ 1

==《内裏/だいり》==
今回は元禄までの梅の記載について…
西暦1619年、元和5年には徳川頼宣(よりのぶ)が紀伊藩主になり、まもなく安藤直次による、やぶ梅栽培の奨励策が始まりました。寛文年間の京都『鹿苑寺(ろくおんじ)』の鳳林和尚の日記(1661~1673年)に、「紅色の梅干が珍しい」と記載があります。どうやら、この頃から梅干にシソが使用され始めたと思われますね。
ところで…『鹿苑寺(ろくおんじ)』は判りますよね?(笑)。そう通称京都市北区にある臨済宗相国寺派の寺『金閣寺』のことです。因みに『銀閣寺』は…?そう、『慈照寺』ですよね。
西暦1675年の延宝3年に頃『雑兵(ぞうひょう)物語』が成立。梅干が戦場食として活用されたとあります。

イメージ 2

開花時期は普通は、3月から4月で、遅咲きの品種になります。

イメージ 3

野梅系・紅筆性で淡い紅色をした大輪で花茎は30から40ミリ。

イメージ 4

一重咲きのものと八重咲きのものがあります。
花弁は丸く、裏紅で絞りが入って美しい。
◇学名:Prunus mume ”Dairi”