シマカンギク

秋はキク科の花が多く、名前が分かりづらいものもありますね。
こういう黄色い花と白い花がややこしいンだよね~。
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島寒菊 シマカンギク
日当たりの良い所に生える多年草ですが、一部地域に生息し個体数は少ないようです。
名前の由来は“島+寒+菊”と言う事で、つまり…島で寒い季節に咲くキクの意味なのです。
かなり、当たり前の名付け方ですが、なんか他にも該当するのがありそうな気がしますよね~(笑)。
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しかも…ですね、島の名がつていますが、実際は山間部の大きな川沿いに多いので、牧野富太郎が島に有る訳ではないから、『島寒菊』ではおかしいと言いって、長崎で花を油に浸けてキズ薬にしたため『アブラギク』と呼ぶように奨めたそうです。
※<アブラギク>江戸時代に長崎でこの花を油に浸して傷薬にしたところから
しかしですね…牧野富太郎先生…先生も、他には『イヌノフグリ(犬の陰嚢)』(←記事)だの『ハキダメ(掃き溜め)ギク』(←記事)だとか『ヨゴレネコノメソウ(汚れ猫の眼草)』(←記事)を始めとして、見た目とかだけで、花には可哀想なくらいの、かなりな命名をしておられると思うのですがね~(笑)。
他にも、同様の使い方をすることからアワコガネギク(泡黄金菊)/キクタニギク(菊渓菊/菊谷菊)の事も“アブラギク”とも呼びます。
*『牧野富太郎』は、高知県出身の植物学者です。近代植物分類学の権威で、小学校中退でありながら理学博士の学位も得ています。生まれた日(文久2年4月24日:1862年5月22日)は「植物学の日」と制定されています。89歳のとき、第一回の文化功労者になりました。94歳で死去。墓所は東京都台東区谷中の天王寺にあります。
昭和29年、92 歳の時に風邪をこじらせ肺炎になり、病状は一進一退を繰り返し,31年には天皇陛下からお見舞いのアイスクリームが届けられました。が、ついに昭和32年の1 月18 日永眠しました。 没後、[ 『文化勲章』が贈られました。著書は「大日本植物誌」「日本植物図鑑」など多数。
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花期は10~12月で、頭花は花冠の直径が1.5センチ~2センチです。
舌状花、筒状花ともに濃黄色。総苞は半球形で長さ5ミリ~6ミリ、総苞片は4列に並び卵形~長楕円形で、縁は褐色の乾膜に覆われます。 
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地下茎は横に伸びて、根の先端に新芽をつけて増えます。茎は細く下部は横に倒れ、上部で立ち上がり草丈は30センチ~80センチになります。
葉は濃緑色で、5中裂します。裂片には鋸歯があり短い柄があります。葉の裏面は細かい毛が生えます。
◇科名:キク科 ◇属名:キク属(Chrysanthemum=古代ギリシャ名「chrysanthemon」から来た名前。語源は「chrysos=黄金色}+「anthemon=花」) ◇学名:Chrysanthemum indicum(indicum=インドの)
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野菊の基原植物で、中国では薬用にされます。
生薬名は『野菊花・菊花』で、薬用部分は頭花です。
成分にフラボノイド、精油を含み、解熱や、解毒、鎮痛、消炎(風邪、胃腸炎、高血圧、湿疹)を目的に漢方の釣藤散、杞菊地黄丸、滋腎明目湯に配剤されます。
菊茶として飲んでも良いと言う事で中国では良く飲まれているそうです。
<ハマカンギク>海岸に生えるものを、呼ぶ別名があります。

因みに…漢名の“菊”を音読みして“キク”と呼ぶようになり、また、菊という文字は古くから見られ、元は鞠(まり)と書き蹴鞠(けまり)のことで、キクの顕花を蹴鞠に見立てたものでした。菊は和名で加波良与毛木(かわらよもぎ)、齢草(よわいぐさ)、寿客(じゅかく)などと呼ばれていました。