明日から二月。今月も幾つもお蕎麦屋さんへ(笑)

もう明日は二月ですね。
去年の12月から…つまり長野へ温泉旅行に行って戻ってきてからですが、かなり頻繁にお蕎麦屋さんへ行っております。まぁ…こんなこと言うまでもなく、オイラの別ブログで記事アップをしてるのでご承知…と言うか呆れておられると思いますが.....
11月、オイラの誕生日に二軒ハシゴ。そして12月に入って、なんと15軒(爆)。今月も…確か…12軒。
まぁ…まだ記事アップしていないのもあるので、訪問数はどうでもいいのですが…(笑)。
で…記事アップしてて気づいたのですが(お邪魔した数が多い事じゃなくて…ね)、お蕎麦屋さんの看板についてです。実は、どういう事かというと、街中にあるチェーン店や、手打ちではないお店の看板や幟の字体ってほぼ同じでしょ?ですが、オイラの場合、お蕎麦屋さんは手打ちのお店ばかりなので、看板も屋号が大きく書かれたのが普通なのです。
よく街中で見かける「きそば」や「そば処」と書かれたお蕎麦屋さんの幟や看板。あれがお店の看板の写真に見あたらない。で…記憶にある中から見つけたのがこの看板。
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こちらは先月の6日の日にお邪魔した吉祥寺の『中清』さんの看板です。このおそばの文字ですが…。『きそば』と書かれていますが、昔から見慣れたそば屋さんの独特な字体ですよね。
この字体は、江戸時代に使われた変体仮名のひとつなのです。
「そば」の字母は「そ=楚」と「ば=者をくずし、点々」なのですね。
これが明治に入って平仮名が「一音一字」に統一されて以来、一般には使われなくなったのです。
まず…「きそば」とは本来は、『生粉打ち(きこうち)・生粉そば(きこそば)』または『十割そば』などと言われて「そば粉だけで打ったそば」を指す言葉なんですね。'''
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コチラにある「そば切り」は、発祥の頃から江戸時代初期くらいまでは、そば切りはすべてそば粉だけの生粉打ちだったと考えられていて、そのため、そばがつながりにくく、そば切りが作りにくかったのです。

今回は看板や字体のお話ではなく、別ブログで記事アップした『とみくら蕎麦』の『オヤマボクチ』をつなぎに使ったと言う事からの記事。つまり蕎麦打ちの際の、つなぎについてです。
「つなぎ」の役割は言うまでもなくそばを麺状に保つためにそば粉とそば粉をつなぎ合わせることですね。ですが…実は「小麦粉によるつなぎ」の手法が普及するまでにはかなり時間がかかっているのです。

江戸初期の寛永20年(1643)の【料理物語】や、元禄2年(1689)に出された【合類日用料理指南抄】などでは「めしのとり湯 ぬる湯 豆腐をすり(=すった湯)」などを使って、そばをつなぎやすくする方法とか、そば粉の一部分を熱湯で練って糊化させ全体をつなぐ方法(=友つなぎ)が書かれています。
ですが、そば切りの誕生する以前から素麺やうどんは有ったわけで、このため小麦粉が、まとめやすくつながりやすい性質であることを経験的にも熟知し扱い慣れてはいたはずですが…なぜか、まだこの段階には小麦粉をつなぎとして使う手法は知られていなようなのです。
それが本山萩舟著の「飲食事典」のなかで、寛永年間(1624~44)の頃奈良の東大寺へ来た朝鮮の僧・元珍が「割り粉」の手法を伝えたとしているのが、小麦粉を使った「つなぎ」の初見らしいのですが、その出典については記していないらしいのです。
では一体いつの頃から普通になったのかと言えば、文献として見られるのは江戸初期の料理書で、寛文8年(1668)に書かれた【料理塩梅集】塩見坂梅庵著の【蕎麦切方】なのです。
それに依れば…
「第一新そばよし・・・ 四季共に水にてこねる也・・・   右は冬の也 夏はそば ひね申候故 少うどんの粉 そば一升に三分まぜ こねるが能候」とあって、そば粉のひねる(鮮度が劣化して古くなる)夏にはそば粉一升に対し三分のうどん粉をつなぎに使うと良いと具体的に記されているそうです。※出典・料理塩梅集 注釈
さて、コレで小麦粉によるつなぎの手法が普及したのですが、しかし…小麦が収穫できず入手困難であったり、高価でなかなかそばのつなぎにまで使うことができなかった地域も在る訳です。
それでは、それらの地域ではどうしていたのかというと、かつて日常生活の極く手近にあるものを工夫して「そばのつなぎ」に活用したと考えられるものが各地にあって、それが現在に伝わっているのですね。

では、各地に残る特徴的なものにはどんなものがあるのかというと…。
『卵』や『ヤマイモ=自然薯』を使ったものですが、これは地域を問わず各地で見られます。
小麦粉以外では、つなぎの代表例のように挙げられます。とは言っても、ただ、卵は昔は高価でしたから、生活に密着したなかで工夫されたつなぎとはいい難いですね。因みに…卵白より卵黄のほうがつなぐ効果は大きいです。
もう一つの例に出したヤマイモは、各地に自生し粘り植物の代表格ですね。
そして、次に『ふのり=布海苔:フクロフノリ』です。ふのりの煮汁は糊に用いられます。
昔はどの家庭でも着物の洗い張りなどで使ったようです。
特に、新潟・小千谷市から十日町市にかけての魚沼地方は織物の産地で縦糸の糊付けに海草のフノリが欠かせないものでした。そこで、フノリを煮てノリ状にして打った「へぎそば」「手振りそば」は今もこの地域の名物で、大きな長方形のせいろに一把ずつ並べた盛りつけと独特の歯触り、薄く青味がかったそばの色合いが特徴です。
コチラが以前に記事アップしたもの。
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小​嶋​屋​/​伊​勢​丹​府​中​店(←記事→)小​嶋​屋​/​伊​勢​丹​府​中​店 越後湯沢で
そして、今回別ブログで記事アップした長野の【オヤマボクチ:雄山火口/※キク科ヤマボクチ属の多年草】があります。オヤマボクチは【ヤマゴボウ・ゴボウパ・ゴンボッパ】などの方言にあるように、ゴボウの葉によく似ています。
オヤマボクチのボクチは火口=ほくちで、一種の採火材です。干した葉をもんで「もぐさ状」にして、火種をとるときに使われました。干した葉を蒸して草餅に入れたり、干した葉をもんでもぐさ状にしたものをそばを打つ時のつなぎとして珍重されてきたのですね。
で、記事にした「富倉そば」は、信州北部と新潟の県境に近い山深い地方でヤマゴボウをつなぎに使ってそばを打つ技法が伝わっているのです。
つなぎに使われるヤマゴボウの葉は、6月中旬に刈り取ったものだけを乾燥させて使い、このそばは冬の寒い時期でも冷たい水でさらしたのを食する慣わしだそうです。

他にもつなぎとして使われるものには、青森県弘前地方ではかつて大豆(大豆汁や大豆粉)をつなぎに使った独特のそば打ち技法があったと伝わっているそうです。
そば関係の本では幻のそばとしてよく紹介されているようですが…。このそばは特に茹でてからの保存性に優れていたので夜そば売りに適していたと言う事です。秋田県北部の「道城そば」も、つなぎに大豆の呉汁を使うそうです。
*乗鞍山麓・信飛地方→ワラビ粉を使ったという記録 / *長野・新潟→ヨモギ / *群馬県勢多郡北群馬郡→さるごま(黄蜀葵とろろあおい)根の部分を使う / *生そばを打つ際にそば粉の一部を熱い湯で「糊」状にしてつなげる友つなぎもつなぎの一手法といわれています。