またまた雨の…

前記事で現在接近中の台風の名前について書きましたが、現在は東京は風は吹いておりますが…土砂降りと言う事はなく、小雨程度です。お昼頃はもっと強く降り出すと思いますが…。
台風が速く去ってくれないかなぁ…、まぁ今日は仕事なんですがね。

ところで諺(ことわざ)で、【秋の雨が降れば猫の顔が三尺になる】なんてのが、ありますね。
この意味は、秋は晴れた日よりも雨の日のほうが比較的暖かいので、寒がりの猫も顔を三尺も長くして喜ぶということ、なのですが…台風ですからね~。

秋が入った諺や故事というのは殆どが食べ物か、男心や女心についてです。
【天高く馬肥ゆる秋・秋高く馬肥ゆ】【秋茄子は嫁に食わすな】【女心と秋の空・男心と秋の空】が誰でも聴いた事があると思いますが…。

【秋の扇】と言うのもありますね。意味は、愛が薄らいだために男に見捨てられた女のたとえです。これは、夏の暑いときには重宝された扇も、秋になれば暑さもなくなり用が無くなることから。
前漢の成帝の妃『斑?香妤 ハンショウヨ』が、成帝の寵愛を失い、不要になった我が身を秋の扇にたとえて嘆きの詩『怨歌行』を詠んだという故事に由来します。【秋風が立つ】【団雪の扇】【斑女が扇】も同じような意味。
【秋波を送る】秋波を送るとは、女性が男性の気を引くために、媚びた目つきで見つめること。色目を使うこと。オイラに送ってくれる女性がいないかなぁ…(笑)。
あ…コレはですね、元々は中国語で秋の季節の澄んだ波のことを秋波と言って、美人の涼しげなめ目元にたとえたものです。そこから、媚びた目つき、色目のことをいう様になったのです。

【一葉落ちて天下の秋を知る】落葉の早い街路樹などでお馴染みの『青桐』の葉が一枚落ちるのを見て秋の訪れを察するように、わずかな前兆を見て、その後に起こるであろう大事をいち早く察知することをいいます。また、わずかな前兆から衰亡を予知するたとえとしても使います。これは『淮南子・説山訓』に「一葉の落つるを見て、歳の将に暮れんとするを知る」とあるのに基いています。

日が暮れるのも速くなりました。これは【秋の日は釣瓶落とし】と言うのがありますね。コレがオイラには一番ツマンナイかな~(笑)。

ところで、諺や故事ではないですが【食欲の秋】というのは、秋になって気温が下がると、体力を付けるために食べ物を躰が欲するのです。それに昔は、今のように年中、豊富な食物がある訳ではなく、秋になると果物や穀物が出来るために食べ物が多くなると言う意味もあります。