愛はミックスで

今日は悪魔の数字並び214でございますね。
世間様ではバラエティーデーと呼んで…ヾ(メ`Д´)ノ┌┛)`Д゚)∵・バレンタインデー
イテテテ......ヒリヒリ"/(#)> ム<)

で…世の男連中はチョコを貰えるかどうかで一喜一憂しておる訳でございますね...
まぁ、元々は『森永製菓』が始めた事だとゆうのは有名ですが…兎に角ですね、日本中がチョコレート業界の壮大な陰謀にはまっておる訳です....
何しろチョコレートの年間売り上げの1割が、たった一日で売れてしまうのです。
因みに…このイベントの歴史としては、1930年代がバレンタインデー誕生期なのですね。
1932年:モロゾフが日本でチョコレートを販売し始めました。
1936年:モロゾフが日本で初めてバレンタインデーにチョコレートを贈ろう、という新聞広告を英字新聞「ザ・ジャパン・アドバタイザー」掲載しました。
そして1950年代がバレンタインデー初期と言えます。
1958年:メリーチョコレートが伊勢丹新宿本店でバレンタインセールをしました。ただ、3日間開催されセール中に売れたのは30円の板チョコ5枚と4円のカード5枚だけとのことでございます。
1960年代が、バレンタインデー黎明期になります。
まず、1960年:森永製菓が新聞広告によるバレンタイン企画を展開し、徐々にバレンタインデーの認知を広めていきます。
そして…1965年:伊勢丹がバレンタインフェアーを行いました。
更に…1968年:ソニープラザがバレンタインフェアーを行いました。
つまり…本格的にイベントとして10年で一気に広まっていった訳ですね。
しかし…しかし…ここで....1980年に、明治製菓不二家・篠崎製菓・宮川製菓・サクマ製菓・佐久間製菓・マルエ製菓・金太郎飴本店・カンロ・ホームラン製菓・みやこ飴本舗・二葉製菓・メリーチョコレートが加盟する全飴協・関東地区部会が、「ホワイトデー企画委員会」をたちあげて、「ホワイトデーキャンペーン(バレンタインデーのお返しにはマシュマロやキャンディー)」というものを提唱してきたのです。
まさに…バカヤローヾ( ̄皿 ̄)ノな提唱をぶち上げたのでございます。
コレに乗ったバカな男どもの為に、1984年の第5回ホワイトデーキャンペーンでは、お返し用のキャンディーが品不足になりました。ちなみに売上は55億円だったそうです。正にお菓子業界の思惑通りだった訳でございますね。
このあたりから、「好きな人にチョコレートをあげる」から「感謝を伝えたい人にチョコレートをあげる」という義理チョコも生まれてきました。

今日は勤務中でございます。チョコは好きなので…自分で買います。
バラエティーにとんだ愛をミックス....
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