ダリア 2014~Autumn其の4

ダリア 2014~Autumn其の4です。
『ダリア』の名前についてですが、アメリカインデアン達は「アココトリ(水の管)」(茎が中空なので)と呼び、ヨーロッパに渡ってからは、学名にもあるようにDahlia=18世紀のスウェーデンの植物学者で『Linneリンネ』の高弟であった『Andreas Dahl(1751~1789)』の名に因んでダーリアに。江戸時代に日本へ入ると日本での属名になった天竺牡丹(外国産の牡丹に似た花)、そして明治の頃には『ダリヤ』『ダリヤス』などと呼ばれるようになりました。
大正から昭和に移ることにようやく「Dahlia」のスペルに順ずる『ダリア』『ダーリア』と呼ばれるようになりました。

パープルインパク
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シンフォニー
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千秋(せんしゅう)くじゃく
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スカーレット
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※日本ではじめにダリア(天竺牡丹)を取り入れ栽培したのは、江戸の巣鴨の植木屋つまり今で言う花屋さんの『内山長太郎』です。
長太郎は文化元年(1804年)に笊(ざる)屋の息子として生まれたのですが、15才で植木屋を目指します。後に富山藩前田利保などの大名家と親交を持ち、江戸の有名な園芸家として活躍します。長太郎は、今日身近にある多くの草花などを発見し広めました。その中で「長太郎百合」の名前に彼の名を残しています。長太郎百合は葉に白い覆輪斑が入る鉄砲百合の変種です。
※『ダリア全書』(松尾真平著・1960年)には、天竺牡丹に三品あり、極紅吹詰の一品は天保十二年(1841年)初めて巣鴨の地に住む長太郎となんよべるもの、長崎より取り入れ、紫花黄花の二品は今年浪花より来れり」《弘化三丙午年(1846年)松平菖翁著「百花培養考」》とあるそうです。
また一説には天保十三年にポルトガル人の手によって「薬玉」と称するポンポン咲きのものが初めて輸入されたとも伝えられているようです。
ポートナイト
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ヤートセ
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ヤートセは、秋田民謡の中で使われている掛け声のことですね。有名な「秋田音頭」の出だしの掛け声です。
因みに…ですが、【ヤートセ秋田祭】の目的と趣旨はと言えば、次のようになっているそうです
1・老若男女を問わず、集い、参加し、日常生活範囲を越えた交流を行うと言う従来の祭りにはないイベントの創造
2・秋田民謡をアレンジ・使用するという祭りの基本コンセプトを通じ、地域に残る文化的資源の継承・再発掘を行う
3・地域を大切にする心を育み、自らの手で地域を作り出す力を引き出し、実現させる力を育成する
このダリアの作出はあの有名な『秋田国際ダリア園』だと想像が付きますね。
別ブログで紹介したこの園の園長の【鷲澤幸治 氏】は日本を代表するダリア育種家です。


華銀盤
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※まだまだ…次回に続く....です。