今日は満月

明日が彼岸の入りですが、今日は満月です。
綺麗な月が輝いています。
正確には…一時間ちょっと前の02:08が満月の瞬間でした。
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これは03;26です。
24日が下弦になりますすね。31日が新月(朔)になります。

さて…3月17日今日は漫画週刊誌の日 なのです。
55年前の今日、1959(昭和34)年.3月17日に、日本初の少年向けの週刊誌として、発刊されたのが少年マガジン』『少年サンデー』でした。
もっとも…当時は読み物が中心で、漫画は少ししか載っていなかったらしいです。
価格は週刊少年サンデーが30円、週刊少年マガジンが40円でした。
この10円の差は「サンデー創刊物語~夢のはじまり~」によると、最後の最後になって雑誌の生命線ともなるこの「定価」をどう設定するかで、両編集部が互いに定価部分を空欄にしたまま印刷所に持ち込み、相手の定価を見てからそれよりも低い定価を付けようということになって膠着状態に突入したらしいのです。
最終的にはギリギリまで粘ったサンデー側がマガジンの定価を見て、10円低い定価を付けた、ということになっています(笑)。もっともマガジンは付録を三冊つけていたと言う事なので、10円の差は微妙ですがね。そして5月からは30円に値下げをしました。
因みに…創刊号の売上はサンデーが30万部でマガジンが20.5万部。
ところで、この創刊号から少年漫画界の巨匠・手塚治虫『少年サンデー』に、連載をしています。その後35年に石森章太郎(当時はこの名前です。『石ノ森章太郎』に)が少年マガジンに連載をしていたのです。
ですが…筆が速いのが有名だった石森も、それまでの月刊ペースから週刊ペースに切り替えが出来ずに、なんと「このままでは連載を続ける事が出来ない」と編集部に泣きついたとされています。驚き~!
しかし…しかしですね、その時に、なんと手塚治虫が「石森くんの原稿の下書きをやってもいい」と提案し、手塚治虫はサンデーで自らの連載の傍ら、マガジンの石森章太郎の下書きも担当したとされています。(す、凄すぎます~~!!?サスガは手塚治虫)
だって…だって当時、手塚治虫は月間連載7本を抱えていたのですよ。それなのに、さらに週刊少年サンデーでも連載を始めたばかりで…!!
ちなみに石森が書いていた漫画は「怪傑ハリマオ」
※少年サンデー創刊号創刊号の表紙が読売巨人軍長嶋茂雄
そのラインアップは…手塚治虫「スリル博士」、横山隆一「宇宙少年トンダー」、寺田ヒロオ「スポーツマン金太郎」、 藤子不二雄海の王子」、益子かつみ「南蛮小天狗」
マガジンの方は…創刊号の表紙が先代の朝汐太郎
「13号発進せよ」(高野よしてる)、「左近右近」(忍一兵)、「疾風十字星」(山田えいじ)、「冒険船長」(遠藤政治)、「天兵童子」(矢野ひろし)、「新吾十番勝負」(水島順)、「もん吉くん」(伊藤章夫)