別所温泉『安楽寺』

長野県への温泉&観光旅行から既に一ヶ月以上過ぎております。
一応、別ブログを含めて、野沢温泉の外湯十三湯、善光寺東山魁夷美術館、長野で今回廻ったお蕎麦屋さん、利用した新幹線と記事アップは終えておりますが.....
まだ全体の半分も記事アップが棲んでおりません。…イヤ、棲んでるのは残ってる記事ネタで(笑)、済んで…の間違いでございます。

さて…旅行の三日目~四日目は『別所温泉』でございました。別所温泉景行天皇の時代、日本武尊の東征の折りに発見されたといわれています。
または平安時代(794年-1185年)に清少納言』によって書かれた『枕草子』にある「湯は七久里の湯、有馬の湯、玉造の湯」という一節の中の「七久里の湯」が起源ではないかという説もあります。
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「別所」という地名が初めて歴史に登場するのは13世紀で、その由来は「将軍塚」で有名な平維茂(たいら の これもち)が戸隠の「活鬼紅葉」という鬼女の退治を北向観音に祈願して首尾よく退治に成功したため、この地に「別業」(現代の別荘に相当するもの)を建て、別所と呼んだところから来ているといわれています。
別所温泉の記事はレトロな『別所線(電車)』と、お蕎麦屋さんの『発芽蕎麦 おお西』さんは記事アップ済み。そして別所温泉にあるあいぜんカツラの『北向観音も記事アップ済みです。
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今回は、同じ別所温泉にある曹洞宗の寺院『安楽寺です。
イメージ 3山号は『崇福山』です。院号は護国院。
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温山門を過ぎると右手に鐘楼
開山は『樵谷惟仙しょうこくいせん』で、本尊は釈迦如来となっております。
禅宗としては、鎌倉の建長寺などと並んで日本では最も古い臨済禅宗寺院の一つです。
天正十六年(1588)ころ、高山順京が曹洞宗に改めました。
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「建長(鎌倉の建長寺)と塩田(安楽寺)とは各々一刹により、或は百余衆或は五十衆、皆これ聚頭して仏法を学び、禅を学び、道を学ばんことを要す云々」これは大覚禅師語録(建長寺開山蘭渓道隆の遺書)の一節です。
これにより安楽寺鎌倉時代中期すでに相当の規模をもった禅寺であり、信州学海の中心道場であったことがうかがわれます。
鎌倉北条氏の外護によって栄え、多くの学僧を育てていたこの寺も北条氏滅亡(1333年)後は、寺運も傾いて正確な記録も残りませんが国宝、重要文化財等数多くの鎌倉時代文化遺産を蔵、信州最古の禅寺のおもかげを残しています。
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ココの拝観の目的となるのはコチラですね。
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境内奥の山腹に建っています。昭和27年3月29日に松本城とともに、長野県内の建造物として、最初の国宝指定を受けています。
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塔のあるところへ登る手前には…
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日本に現存する近世以前の八角塔としては唯一のもので、八角塔としては、京都の『法勝寺』や奈良の『西大寺』などに存在していましたが、戦乱などで失われています。
全高(※頂上から礎石上端まで)は18.75メートルです。
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構造形式は八角三重塔婆、初重裳階(もこし)付で、こけら葺になります。大きな特徴の一つは、外観は四重塔にも見えるのですが、実際は一番下の屋根はひさしに相当する裳階(もこし)と言う点ですね。
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この塔は日本に現存する唯一の八角塔であるとともに、全体が禅宗様で造られた仏塔としても稀有の存在になっています。組物と呼ばれる、軒の出を支える構造材を、柱の上だけでなく柱間にも密に配する点(*詰組)や、軒裏の垂木を平行線状でなく放射状に配する点(*扇垂木)、そして柱の根元に礎盤を置く点、頭貫(かしらぬき*柱頭を貫通してつなぐ水平材)の端に「木鼻(*彫り物)」を施す点など、細部に至るまで禅宗様で造られています。
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内部は拝観出来ませんが、天井の形式や八角の仏壇も他に類を見ないもので、内部には禅宗寺院には珍しく大日如来像が安置されています。
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この塔の建立年代は、つい近年までは、鎌倉時代末~室町時代始め頃と考えられていたのですが、2004年の奈良文化財研究所埋蔵文化財センター古環境研究室による年輪年代調査の結果、この三重塔の部材には1289年(正應2年)に伐採した木材が初重内部の蝦虹梁に使われていることが判明しました。
このことから13世紀末、1290年代に建築されたものと考えられ、1320年建築の功山寺仏殿を凌ぐ日本最古の禅宗様建築である可能性が高くなったのです。その後の調査で、1290年代(鎌倉時代末期)には、建立されたことが明らかとなり、わが国最古の禅宗様建築であることが証明されました。
イメージ 16※拝観時間/3~10月:8時~17時、11~2月:8時~16時 
拝観料/300円
安楽寺(←クリック)

安楽寺から歩いてすぐの所にあります。

常楽寺

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北向観音の本坊で、ご本尊は『妙観察智弥陀如来(みょうかんざっちみだにょらい)』です。
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いいお天気だったのでトンボも日向ぼっこ。
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常楽寺北向観音堂が建立された天長二年'825年)三楽寺の一つとして建立されました。
その後、正応五年(1292年)四月、信乃国(信濃国)塩田別所常楽寺で書写されたと記述のある「十不二門文心解」が金沢文庫に遺されています。
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なかなか立派な…
常楽寺(←クリック)
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手前には立派な松があります。
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コレで一本の松です。
イメージ 28※東京の浜離宮恩賜公園にある黒松もこんな形ですよね。
浜離宮恩賜公園』の黒松は、推定樹齢300年、樹高約10m、幹周り約4.3m、正面から見た枝張りが約18mで、根元そばで数本の幹に別れ、そのうち1本が水路側から園に向かい、まるで触手のように10m以上勢い良く枝葉を張り伸ばしています。

裏の方へ廻ると…
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本堂裏の北向観音の霊像が出現した場所には、弘長二年(1262年)の刻銘のある重文に指定されている『石造多宝塔』が保存されています。
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これは鎌倉時代に天台教学の拠点として栄えた常楽寺の歴史を証する貴重な文化財となっています。
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『石造多宝塔せきぞうたほうとうは、北向観世音が出現した場所で、高さが2m85cmの安山岩で出来ています。国の重要文化財に指定されています。
鎌倉時代の弘長二年(1262年)に『賴真らいしん』という和尚さんが、木造の多宝塔が消失してしまったので今度は石で多宝塔をつくり、お経を奉納した。」ということが、石造塔の四面に刻まれています。
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石造多宝塔のすぐれたものは全国的にも少なく、わが国で重要文化財に指定されているものは、この常楽寺塔と滋賀県の「少菩提寺塔〔しょうぼだいじとう〕」の二つだけです。
多宝塔

※12世紀に別所は『木曽義仲(源 義仲)』が、信州を平定するために派遣した軍勢によって火を放たれ、多くの寺院建築が灰になってしまいました。
大悲殿ならびに安楽寺八角三重の塔だけは焼失をまぬがれました。その後、焼失した別所の寺院は源頼朝、次いでに塩田北条氏によって再建されることとなりました。そして、この塩田北条氏の下で多いに栄え、別所を含む塩田平が「信州の鎌倉」と称されたのはこのためです。