あいぜんカツラの【北向観音】

長野への温泉湯治旅行、どんどん記事アップしないと忘れてしまう~~。
三日目の別所温泉での散策記事です。上田市街の南東山裾に有る別所温泉ですが、野沢温泉の後何処を廻るか…予定を立てるときに迷ったンですよね。取り敢えず、長野市善光寺、その後お蕎麦屋さん(笑)。で…その日の宿は、移動に時間がかかりすぎるところ、あまり賑やかなトコは避けたい。デッカイHOTELとかじゃないトコがいい。だけど外湯巡りが出来て、観光スポットがありそうな所…その条件にあったところがここだった。
さて、お宿を出て外湯巡りの途中でお昼時。温泉街で当初チェックしていたお蕎麦屋さんは三軒(笑)。さぁ~~て、何処で食べようかなぁ…、今食べちゃえば、もう一軒回れるぞ♪などと考えていたのですが…。温泉街の中心、土産物屋さんが並ぶ奥にコチラが見えたので、先に拝観する事にしました。北向観音
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観音が北向きに祀られているのでこの名があります。
厄除け開運の観音さまですが、最近は受験合格祈願をする人も多いと言う事です。縁結びの御利益があるという愛染桂の木など、見どころは多数あります。
◇0268-38-2023 通年無休
6:00~17:00(閉館、時期により異なる)
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お~~!!なかなか素敵な造りです。 
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まぁ、先ずは一番有名な『あいぜん桂』を見ましょうか…
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この桂は温泉街からそのまま石段を登って境内入り口の鐘楼わきに立っています。
縁結びの御利益があるという愛染桂の木ですが…
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桂の巨木ですが、名前は聞いた事があっても、別所温泉にあると言う事も知らなかった。
今回の長野の温泉旅行で、別所温泉をコースの一つとして決めたときに、下調べの段階で初めて知りました。
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この木は桂の巨木として珍しく単木です。桂独特の根本から叢生群集する枝幹はありません。しかし、目通りは5.7mで樹高は現在は24mくらいなので、巨木としてはそれ程じゃあ無いンかも…。推定樹齢は300年以上といわれています。
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あ、目通りというのは立木に人間が並んで立った時に、人の眼の位置に当たる樹幹の部分です。通常は地面から120cmの高さの位置を「目通り位置」と言います。
この木は上田市指定天然記念物となっています。
それでは…
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北向観音の名前の由来は、「北斗七星が世界の依怙(よりどころ)となるように我も又一切衆生のために常に依怙となって済度をなさん」という観音の誓願によるものといわれています。 また、善光寺が来世の利益、北向観音が現世の利益をもたらすということで善光寺のみの参拝では「片参り」になってしまうと言われてもいます。知らなかったけど、これは温泉と蕎麦屋さんの条件で選んだ偶然の日程ですからね。ヨカッタ~(笑)。

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寺伝によれば、平安時代初期の天長2年(825年)円仁(慈覚大師)によって開創されたとなっています。安和2年(969年)平維茂によって大伽藍として大改修が行われたと言う事ですが、木曽義仲の兵火により焼失したのち、源頼朝により再興されました。
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             ←愛染堂の中には「愛染明王」が安置されており、愛染明王信仰は恋愛、縁結び、家庭円満などを司る仏として古くから行われていました。また、愛染→藍染と解釈し、染め物や織物職人の守護神としても信仰されています。鎌倉時代の建長4年(1252年)には北条国時(塩田陸奥守、塩田国時)によって再建されたと伝えられています。

江戸時代に至って正徳3年(1713年)に焼失し、8年後の享保6年(1721年)に現在の堂が再建されたと言う事です。その後度々修復を加え、昭和36年に増改築を施し、善光寺の本堂と同じ「撞木造り」になりました。
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観音堂に隣接する温泉薬師瑠璃殿は火災の後、文化6年(1809年)に地元の薬師講により再建されました。
桂の樹の正面には「医王尊瑠璃殿」と呼ばれる懸崖造りの薬師堂があります。
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なかなか素晴らしい景観ですね。
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【あいぜん桂】昭和の中頃(1937年発表の小説…当然、それじゃあオイラは知らないッス)ラジオドラマや映画で一世を風靡した『愛染かつら』、ヒロインの高石かつ枝と津村浩三が桂の木の下で永遠の愛を誓うモデルの桂として一躍有名になりました。
それ以来、映画のように永遠の愛を夢見る、湯治の…じゃないや(笑)、当時の若者達から『愛染かつら』と親しまれ、現在に至るまで縁結びの霊木とし親しまれています。
因みにこの小説のあらましは?…川口松太郎(1899‐1985)の長編現代小説。1937‐38年《婦人倶楽部》に連載。津村病院に勤務する23歳の美貌の看護婦高石かつ枝と病院長の令息津村浩三のラブストーリー。かつ枝は17歳の時結婚して1子をもうけたが,夫と死別,病院で働く。2人は津村家の菩提寺の愛染かつらの樹の下で永遠の愛を誓う。その後幾多の誤解とすれ違いの末,日蓄レコードの作曲家としてデビューすることとなったかつ枝は浩三と再会し,結ばれることとなる。…と言う事らしい。時代が古すぎて判りませんが、凄い大人気だったらしいです。