世田谷の北烏山のお寺 其の3

この書庫で、前記事に喜多川歌麿の墓←クリックのあるお寺を紹介しましたが、別ブログでは、そば切り寺と細石(さざれ石)のあるお寺←クリックも紹介しております。これらのお寺があるのは、東京世田谷区の京王線千歳烏山の街の北烏山です。
お寺が集まった寺町地区になっている一角があるのです。
この世田谷区北烏山の2丁目から、4丁目、5丁目及び6丁目にかけては、26の仏教寺院が立ち並ぶ地域で通称烏山寺町。寺町の成立は関東大震災後で、1923年(大正12年)に浅草や、築地、本所、そして荒川などにあった寺院が集団で移転してきたのが直接的な契機とされているのですが、これは関東大震災の前から計画されていた東京の都市基盤の整備とも密接に関わっています。この烏山寺町の一帯は「世田谷の小京都」などと呼ばれたりもしていて、1984年(昭和59年)には「せたがや百景」に選定されました。
さて、それではもう二つほどお寺を紹介しましょう。
まずはこの地域でも一番有名ではないかと思われるのがコチラです。

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「高源院」です。◆住所:世田谷区北烏山4-30-1

このお寺で有名なのはこの弁天池と浮御堂です。

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ステキでしょ♪
浮御堂が趣があります

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池の片側半分には『未草』つまり、睡蓮が一面に…。大きな恋も泳いでいますよ。…ンじゃなくて鯉。
もう片側には『河骨』

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コチラは「妙寿寺」というお寺。
なかなか大きなお寺です。

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このお寺の庫裏は'''旧鍋島家'''の一部を移転したモノです。なかなかリッパです。
滅多に訪れる人はいないので静かです。
ココ実は面白いモノがあります。この梵鐘です。

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この梵鐘は享保4年の作で作者は当時鐘作りの名人と言われた藤原正次と言う人。
で、下に置かれていて、よく見ると割れています。この傷は関東大震災でついたモノらしい。
このお寺は当時、深川(江東区)にあったと言うことです。
◆住所:世田谷区北烏山5-15-1