上野恩賜公園 不忍池の碑

先週、ひさびさに上野恩賜公園に寄ってみました。小雨の降る日だったけどね。
上野と言えば……
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そして、上野動物園と…
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オイオイ……
が…有名ですが、他にも上野東照宮、レストランの上野精養軒も知られています。
上野精養軒はですね~、あのオランダ芥子つまり《クレソン》(←記事)が、日本に野草として広まった元となる場所として知られています。で……そのクレソンのリンク記事にある不忍池ですが…
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不忍池由来碑

上野台地と本郷台地の間を忍ヶ丘と呼ばれていたことに由来しているといわれています。この地域は、古くは海で海岸線の後退で沼のようになったのは平安時代といわれています。
昭和四十一年(1966)建立。
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辯天堂

本尊・八臂大辯才天は、最澄の弟子の慈覚大師・円仁(じかくだいし・えんにん)作とつたわる。脇士には毘沙門天、大黒天を安置する。慶應四年(1868)の上野戦争では焼けずに残ったものの、昭和二十年(1945)年3月の東京大空襲で焼失してしまいます。しかし、本尊の弁才天は無事だったので、昭和三十三年(1958)鉄筋コンクリート造りの、八角堂が完成しました。児玉希望(こだまきぼう)画伯による「金龍」の天井絵があります。
☆☆本殿☆☆
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《大黒天堂》

☆☆この大黒さまは豊臣秀吉が大切にしていたという伝説があって、大黒天は福を授ける神・福を招く神として知られ、家門繁栄や富貴をもたらすといったご利益がありますね。
☆☆奥の院は平成元年に改築されています。☆☆
この場所には多くの碑がある事で知られております🤓
☆《虚沖軒先生碑(きょちゅうけんせんせいひ)》石碑には、幕末の剣豪・櫛淵彌兵衛宣根(くしぶちやひょうえのぶもと)の先祖に伝わる香取神道流から、神道一心流をおこすに至るまでを、簡略に記されています。宣根は、一橋徳川家に召抱えられて、以後三代にわたって徳川将軍直々の護衛役として仕えました。

《鳥塚とりづか》

東京食鳥鶏卵商業協同組合及び東京都食鳥肉販売業環境衛生同業組合が、諸鳥類の霊魂を永久に慰めるために昭和三十七年(1962)に建立。
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高久靄厓筆塚と包丁塚(たかくあいがいふでづかとほうちょうづか)

靄厓は江戸時代後期の文人画家。
☆《蓮華の歌碑》不忍池の蓮花を詠んだもので、文政十一年(1828)司馬乃屋嘉明が建立。漢詩とともに、『色々に花はさけどもくれ竹のそれにもまして蓬のしら糸』と刻まれています。
☆《芭蕉翁碑》元は浅草寺本堂の銭塚地蔵の近くにあったのですが、戦後この地に移建されてめす。画家の佐脇嵩雪(さわきすうせつ)が描いた、芭蕉の座像が線刻されているのですが、欠損が激しく残念ながらほとんど見えません。
☆《暦塚》第七十三代首相・中曽根康弘による碑文が刻まれており、全国カレンダー出版協同組合連合会等により建立されたもの。
☆《真友の碑》昭和五十一年に建立。
☆《東京自動車三十年記念碑》わが国自動車業界の黎明期を支えた先達を顕彰する記念碑。昭和五十年に「三十年会」が建立。
☆《いと塚と石塔》三味線や琴などの芸事にはかかせない糸に対する感謝を表した塚。

《スッポン感謝の塔》と《扇塚》

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☆スッポンに感謝するために建立された塔。
☆作家・佐藤春夫の詩文で、扇の形をした碑。初代・花柳寿美(はなやぎすみ)の舞扇を納めて、昭和二十四年(1949)の2月に、六代目・尾上菊五郎、二世・花柳寿輔(はなやぎじゅすけ)、花柳章太郎らの手によって建立。
☆《八橋検校顕彰碑やはしけんぎょうけんしょうひ》
検校は、生田流、山田流などの箏曲(そうきょく:箏こと)をひいて演奏する音楽)の祖といわれている。箏組歌13曲、段物3曲などを制定し、現在の箏曲の基礎を築きました。碑は昭和四十一年に建立。顕彰碑の下方には石造りの箏も置かれています。
☆《長唄碑》幕末の長唄中興の祖である杵屋六三郎(きねやろくさぶろう)を賛辞する碑。

ふぐ供養碑

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「東京ふぐ料理連盟」がフグの霊を供養するため、昭和四十年(1965)に建立。
☆《魚塚》
「東京魚商業協同組合」が魚の霊を供養のため、昭和五十一年(1976)に建立。
☆《長谷川利行碑と歌碑》*京都府出身の洋画家、歌人

めがねの碑

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徳川家康の愛用した眼鏡がかたどられています。東京の眼鏡業界の組合により昭和四十三年(1968)に建立。